家康ひそみの藪(妙見河原の桜)@交野

最終更新: 3月26日

こんにちは!着物着付け教室サロン・ド・ヴィーヴルの山口あゆ美です。


昨日はポカポカ陽気に恵まれ、桜咲いたかなあ~と近所のお気に入りパワースポットへ♪


星田妙見宮の参道横を流れる妙見川の両側の桜並木がきれいなので、そろそろどうかなあと。まだ満開には少し早かったですね(*^^*)



星田妙見宮のすぐ前の竹やぶに「家康ひそみの藪」があります。



俗にいう「神君伊賀越え」・・・本能寺の変が起こり、身の危険を感じた家康が、堺~枚方・交野~木津川を越え、宇治田原~伊賀~四日市~伊勢湾を渡って三河に戻ったという史実に基づく通り道です。

家康ひそみの藪は、宇治田原にもあるのを見たことがあります。

こんな金網に囲まれています(たけのこ泥棒避けかな?風情がなさすぎ・・)



実は、木津川から先のルートはほぼ特定されているのですが、堺からどのようなルートを通って枚方までたどり着いたか、があまりはっきりわからないようなのです。


以前、神君伊賀越えルートを検証する枚方市の講座でお話を聞いたところによると、家康は本当に命からがら辿りついたようです。


だって、光秀の息のかかった者がうじゃうじゃいたわけですから、その人のいる地域を避けて通らなければならなかったから。


堺から北上する道で大きな道は東高野街道がありますが、ここは通ってないらしい。


当時は東大阪の辺りは河内湖ともいうべき大きな湖(沼地)があり、堺からはその湖を船で渡り、生駒山の北の端、飯盛山まで来たとの説。


今の地名で言うと、深野池~野崎(野崎観音で有名)あたりまで船でこれたことでしょう。

そして上陸して、山の端を通って北上、山ノねキ~ホタニ(穂谷)~尊念寺(尊延寺)~草地(草内)~宇治田原と推定されています。ねき、とは「そば」のこと、()の中は今の地名ですので、イメージできるルートです。


枚方の津田に信長恩顧の者があり、その者の案内で宇治田原まで案内されたとも。


尊延寺から木津川に出たとすると、星田のこの辺りは尊延寺にたどり着く前に通ったのかなという位置関係ですね。


大きな街道ではなく、山に沿ってできるだけ目立たないように移動したのでしょう。


このひそみの藪の立て看板によると


その日の深夜家康はこの竹やぶにひそみ、村の長、平井氏に連絡して、山城方面に出るため道に精通する農民を道案内人として出すように依頼した。

平井氏では沢山の握り飯を鶴の絵を描いた大皿に盛って提供し、信用のおける二人の農民を選出して無事に道案内の大役を果たさせたといわれている。


とあります。


いずれにせよ、家康が偉い人になったことで、いろんな村がはくをつけるために我が村を通った、ということにしている可能性もあるようですが、家康が命がけで逃げた、という歴史に思いを馳せ、いつか歩いてたどってみたいなあと思います。


星田妙見宮に続く。



#神君伊賀越え #星田妙見宮 #家康ひそみの藪 #枚方 #交野 #パワースポット




69回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示

© 2019着物サロン・ド・ヴィーヴル